奥州平泉が栄えていた頃から人馬の行き交う拠点として広がっていった場所。「蒜香郷岩ケ崎邑」、「黒岩口」、「初ケ崎」と古書にあり「岩ケ崎」という地名となっていく。歴代邑主により城下町として整備が進められ、現在も随所にその名残をとど めている。葛西・大崎氏の滅亡後、富沢氏から伊達政宗の領地となった岩ケ崎は、政宗の五男宗綱、六男宗信、石母田氏、田村氏、茂庭氏と続き、その後明治に至るまで伊達家の重臣中村氏へと受け継がれ、二日町、四日町、五日町、六日町、八日町と市が立ち、活発な賑わいのある町となっていった。